ネオロックの成立と発展
NEOROCKとは、「Music sports」通称、
Mスポーツの元祖である。
3ピースバンド「empty-dumbty」(略称エンプ)は、これまで「対決」の名を冠しながら勝敗をつけることがなかった「対バン」を改めて、「試合」として行うライブを企画。
騒音計で計測した歓声の数値、及びライブ後の観客による投票によってランキングを付け、最も高い順位についた(=最も客を沸かせた)バンドを勝者とする新しい対バンを確立した。
これはアイドル界隈の「投票カルチャー」が既に世間で広く知られていたことで、ロックバンドファン層でもいち早く受け容れられる。来場者数の低迷にあえいでいたライブハウスも、「その場にいなければバンドの勝利に貢献できない」方式を取る新しい対バンを歓迎した。
「客」と「ハコ」双方の後押しによって、新しい対バン・「新対バン」は都市部に留まらず、アマチュアやインディーズを中心に国内で徐々に拡大していく。
しかし、運営が整っていない環境での「新対バン」は、過激ファンによる演奏妨害的な過剰声援や、投票の意図的な操作が初期の段階から問題となっていた。
そしてエンプの主催で開かれた初の大会「new rock battle」で、不正なチケット取引により組織票を固めた下馬票最下位のバンドが優勝したことにより、問題が表面化。
「やはり音楽に厳密な勝敗をつけるのは難しいのでは」と、「新対バン」は一時その流行に翳りを見せることとなる。
状況を打開したのが、エンプでプロデューサー・作曲・演出を兼任する天才、美影闢夜である。
彼は「新対バン」の評価から投票を廃し、代替として自らが開発したネックバンドを装着することで、盛り上がりや心の動きを医学的に評価するルールを考案した。
バンドに付けられた装置により、呼吸/心拍数・血中ドーパミン値・セロトニン値を即時に計測。
3点それぞれで、「刺激的な音楽かどうか」「心震える音楽かどうか」「心安らぐ音楽かどうか」が定量で分かるシステムを構築した。
同時に、不正を発生させない仕組みづくりとして、ルールの厳格化にも着手。特に参加資格の定められていなかった「新対バン」から3ピースバンド以外を排除し、参加全バンドを順位づけするのではなく、2つのバンドによる対決を繰り返すトーナメント形式に改良した。
これは盛り上がりをより公平に評価するための試みで、対決の合間10分間のクールタイムが設けられるようになったのも同様の意味合いである。
そして、美影は「新対バン」のゲーム性・戦略性を高めるために、対決の管轄外にあった演出担当を対決チームのメンバーに加え、
その役割を「エモーショナー」(略称エモナー)と命名する。
自身がエンプのエモナーを務めた。参加バンドは「音響・ライト・曲順等、演奏中の舞台演出全てを操るメンバー」であるエモナーを加え、4名で参戦することが必須となった。
上記全てのルールを整えて行われた第2回大会、「NeoRock Fes」と改称されたこのイベントは、懸念事項だった不正行為も確認されず、チケットが3分で完売する盛り上がりを見せる。そして大会はエンプが悲願の優勝を果たし、その幕を閉じたのだった。 ネックバンドを用いた評価は、管理の難しさからしばらく都市部のみでしか広まらなかった。しかし毎年夏に開催される「NeoRock Fes」は一過性の流行に止まらず、チケットは継続して完売し続けた。
ネックバンド管理の企業や大会フェス運営専門のイベンターが各地で次々と登場し、「NEOROCK」という一つの競技として全国で開催され始める。次第に中高生の軽音楽部は殆どが「NEOROCK」部と呼べる状態となり、ルール制定前の「新対バン」を真似た試合が一大ブームを巻き起こした。そ
の流行を受けた全国軽音楽連盟は、未成年者に合うようにいくつかのルールを改変し、概ねNEOROCKの正式ルールに則った大会を発足する。「NeoRock Fes」運営委員会とエンプの承認を経たこの大会は、史上初の18歳以下限定公式フェスとなった。
「子どもの部活」として、音楽系部活動では吹奏楽に比肩する人気を得た「NEOROCK」は、児童生徒・保護者といった幅広い世代へ支持を広げていく。
「NEOROCK」に倣った「音楽を用いた対決」はロックのジャンル以外にも広がりを見せ、ネックバンドはアイドルグループの対決などにも使用され始めている。
現在HIPHOP・クラシックなどのジャンルで確認されている同形式の試合は、「Music Sports」と総称されている。
日本を発祥として世界でも注目を集め、e-sportsに継ぐ「第3のスポーツ」と目されている。
(※音楽でそう都合よく即座にホルモン値が変化したりはせんのでウソ医学です)